富山写真語 この人ありて・万華鏡

夫婦とんかつ

室田喜代子さん(「新とんかつ」の女主人) 「新とんかつ」の女主人室田喜代子さん

「笑顔が基本形」という顔がある。笑いじわが深く刻まれていて、人生の大方の時間をこの笑顔で過ごし、この笑顔で乗り切っていらしただろうと思える顔。
「新とんかつ」の女主人、室田喜代子さん(八十五歳)の顔はそういう顔だ。
スケートリンクで賑わう総曲輪グランドプラザ。傍らの並びにある店内で、一段落した時間にお話を伺う。
背筋はピンと伸び、きれいな銀色の御髪、そして笑顔。ありきたりだが、どうしてそんなにお若いんですか、の質問に「なじみの男性のお客さんにはこういうがです、『あなたのようにすてきな男性のお顔を見るだけで電気が頭のてっぺんからつま先まで走るんですよ』いうてね」と笑いながらエネルギッシュな答えが。
店の創業者、室田清作さん(故人)・喜代子さんご夫婦には結婚からドラマがあった。
喜代子さんはます寿司の老舗「千歳」のお嬢さんだったが、青年団活動で清作さんと知り合い、伴侶をこの人と決める。「戦後すぐでしょう。お金持っとる人も無い人もみんな一線に並んでのスタート、一緒になるなら、やる気のある人でないとダメだと思いましたね」経済的に豊かでなかった清作さんを、相手として認めないお父さんを押し切り結婚。総曲輪の神田横丁にお店を開いたのがその翌年の昭和二十四年。店の名前は「ニューとんかつ」。(古くからの馴染みのお客さんは今の「新とんかつ」の新を今でも「ニュー」と読む)
「最初の頃は大変でしたよ。でも、なんと言っても昔の総曲輪は勢いがありました。人で溢れてました。開店して間もない頃ですが、女将さん連中の新年会が海老亭でありました。黒紋付きを着た黒川さんやフクロヤさんやら女将さん方がずらっと並んだ座敷は迫力がありましたよ。お酒を注ぎに行ったら金物店の奥さんに『あんた、どこのお店け』と聞かれおずおずと『神田横丁で小さなとんかつ屋をやっております』と返事をしました。『そんなお店あったけ』と言われ、ますます小さくなりましたが、その後に『がんばられ!』と励まされました。神田横丁は『出世横丁』とも呼ばれていました。主人も私もそりゃあがんばりましたよ、そのうち、お客さんがだんだん応援してくださるようになって」
清作さんは世話好きで親分肌。商売もさることながら、「民謡」と「野球」という趣味がさらに人脈を広げた。三味線を独学で学び、おわらを愛し、名伯楽でもあり全国に通ずる弟子を何人も育てた。かたや野球は、自分のチームを二つも持ち、大の巨人ファンで王選手の後援会の副会長も務めた。今でも元巨人軍で富山に来ると必ずこのお店に寄るという選手も少なくない。
しかし清作さんは働き盛りの五十七歳でガンで他界。そのあとを富商の野球監督も務めた息子さんの進さん(六十歳)が引き継がれ、店の味を守りながら今に至る。
「とんかつを食べるなら、新とんかつに決めています。 子供のころ西町へ行った帰りは新とんかつで夕飯が決まりでした」
こんな書き込みがネットの食べ物ブログにあった。幼い頃の家族団らんの思い出と結びついている、新とんかつはまさにそんなお店のひとつ。
しかし昔を守るだけでは今の時代を生き残れない。新とんかつはシンプルで素材を味わうメニューが多い。専門店だからこそ素材にこだわり、自信があればこそのシンプルさだ。また、総曲輪店は十七代続いた古民家を移築したもので、壁には絵やタペストリーが。椅子やテーブルなど素人目にもいいものだということがわかる。食べるだけでなく、「時を過ごす場所」として意識された作りになっている。
店の伝統を守り、「今」そして「未来」につながる「町の食堂」として時代に合った店作りには、初代清作さん夫婦の意気込みが今も息づいている。

(税光詩子・記)

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天文屋のブログ

望遠鏡

夕方、仕事を終えて外に出る。ふと前方を見ると西の空に光る星。もう星が出ている時刻なのかと空を見上げるといつの間にか満天の星が。星空を目にして仕事の疲れが和らぎ、リフレッシュして家路を急ぐ。そんな経験がおありでないだろうか。もちろん人が作った光も私たちを楽しませてくれるけれど、星が与えてくれる「癒し」の力は何物にも替え難い。その星の明かりに魅せられたのが今回ご登場いただく吉尾賢治さん(南砺市在住)。
子どもの頃に星と出会って以来、夜空を見つめ続けてきた。二〇〇六年から自らのブログで毎日画像を更新し続ける。天文誌サイトへの投稿も数多く、TV局から掲載許可の問い合わせがあったことも。
例えばある日の写真は一面の星空。白い砂を撒いたような無数の星。同じ写真に星を結んだ星座図が下にあって(この日はぎょしゃ座とふたご座)、空に撒かれた無秩序な星が物語を作る星へと変わる。例えばある日は魚眼レンズでとらえた球形の星空。藍色の空を町の明かりが丸く縁取る。何でもない南砺の山里がロマンティックに姿を変える。ずっと見ていると今まで図鑑のなかでしか見たことのなかったような天文写真が身近に毎日アップされていることに驚かされる。
それが星の観察の世界のお約束なのかもしれないが、撮った場所、時間、使用カメラ、レンズなど掲載画像ごとに記載されている。機材はそれぞれ何種類にも及び、観察地も中部圏各地に広がっているのが分かる。星への並々ならぬ愛情がブログから溢れている。
興味を持つきっかけは何だったのですか。
「小学校高学年の夏休み、担任の先生が、毛布を持って学校へ来いとクラスのみんなを誘ってくれました。肉眼でも星がたくさん見えるのに驚いたんですが、一番強烈だったのは学校の望遠鏡で見せてもらった土星(の輪)ですね」
後日、一緒に星を見た仲間三人で福光の町へ組立て式の紙筒(製)望遠鏡を買いに行った。中学高校になると自分で望遠鏡を作った。以来、何度か都合で天文から離れた時期もあったが、星の観察を続けてきた。
時間のある限り、外に出て空を見る。自宅で星が見えない時はネットの天候サイトを見ながら撮影ポイントを探す。東海北陸自動車道全通により太平洋側に足を延ばしやすくなり冬場の星空観察も可能になった。撮影行を共にする愛車を拝見すると、前席を残し、後席はたたんで荷室になっていた。日々進歩の技術で、予め見たい星を指定すると、望遠鏡が自動的にその星をとらえ、追ってくれるらしい。撮影状況を時々チェックしながら、満天の星空を眺めて吉尾さんの休日の夜は過ぎていく。
撮影の拠点となるご自宅は、三方が山に囲まれた静かな佇まい。星座観察にはもってこいと思いきや、近年、冬の西の山肌には巨大な明かりが出現する。イオックス・アローザスキー場だ。照明灯は、スキー場を照らすための設備だが、中には、光軸が平野部を向いているのもある。その方が集客効果があるらしいが、巨大な光源は淡い星々の光をかすませる。観察を別にしても、あの煌々とした光が南砺の景観に合っているのか、再考の余地があるのではという思いがよぎる。
もっと入れ込みたいのでは、とお尋ねすると
「私は観察屋でも写真屋でもないただの天文屋です。天文現象はなるべく見逃したくないし、記録を残しておきたいだけ。星の写真展を開くなど考えたこともありません。自らに『毎日更新』の縛りをかけることで、天文ライフを生涯続ける、それが私の望む全てです」
冬の夜空のように冴え冴えとした返事だった。

(税光詩子・記)

◎吉尾さんのブログ
 「なんと!‐e星空」 http://stella.blog.nanto-e.com/

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狛犬が生まれた村

有峰村

「ぶさかわ」不細工だけどかわいいことを今どきの若者は愛情こめてこういうらしいが、八頭の狛犬の写真を見てその言葉を思い出した。実物に会うためにまだ雪深い旧大山町の山ふところを訪ねる。富山市との合併で「富山市大山歴史民俗資料館」となった建物の入り口で資料館学芸員の小林さんと寺崎さんが出迎えてくださった。
小林さんの案内で中に入っていくと展示会場の入り口で八頭が並んで出迎えてくれた。数奇な運命をたどった狛犬たちのストーリーは、湖の底に眠るかつての有峰をさらに神秘的に思わせる。展示館内には狛犬と並んでかつての有峰村の貴重な資料の数々が並ぶ。
米は育たず主食はヒエで、わずかな生産力で養える人口には限界があり、飢饉の度に乞食となって村を出ていったことなど、厳しい生活ぶりが説明されているが、案内してくださった小林さんが「確かに貧しい村でしたが、代表者が毎年伊勢に参拝していたんですよ」とおっしゃる。昔の旅は今と違い、庶民には手の届きにくいもののはず。極貧の村がどうして伊勢参りに人を送ることができたのか。
この資料館の展示を手がけられ、「有峰の記憶」(桂書房)を編纂された前富山県郷土史会長、前田英雄氏(八十三歳)のご自宅に伺いお話を伺った。
「信仰に篤いことは有峰村の特徴の一つです。つい最近、有峰村の伊勢参拝に関する新しい資料が見つかったんですよ」
一昨年、長(有峰村最後の長、丸山家の現在の姓)家の資料の中に、「伊勢朝熊岳」と書かれた七福神の絵図が見つかった。朝熊岳は「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ朝熊駆けねば片参り」と言われた参宮のひとつということ。伊勢代参の村代表者二人は、片道八十里(三百二十キロメートル)の旅程を、通り道にある津島神社と白子観音に詣で、本宮参拝のほか、朝熊岳にも参拝していたらしいことがこの絵図から推察されるとのこと。つまりあちこちに寄ってのかなり充実したお伊勢参りだったことが窺えるようだ。食べるものさえ十分でない村がどのようにしてこの費用を捻出したのだろうか。有峰村の産業についてお尋ねする。
「換金作物としては蕨(わらび)粉があります。蕨の根っこから抽出したものですが、単に山から採ってきたわけでなく各々の家が日当たりのいいところにそれぞれ三十〜五十坪の畑を持って栽培していました。蕨粉の一升は米四升で交換できたんです」
「あと換金できるものとしては木呂(コロ)がありました。伐り出した木呂を谷に落とし、堰に溜め、一定量が溜まると流す。有峰の木呂は和田川から常願寺川を通りいたち川に流されました。明治維新後には富山市の人口は約四万五千人という大都市になっていました。炭は当時はまだまだ高価なもので、一般庶民にとって木呂はなくてはならない燃料でした」
現在の有峰ダムは貯水量二億トン、その水量と発電で富山市民の生活を支える。だが、この話を聞くと、ダムになる以前から有峰村は富山市民にとっての大切なエネルギーの源だったことがわかる。ずっと昔から、富山市という大都市を有峰という小さな村が支えてきたのだ。だがそんなことはほとんどの人は知らない。福島の原発事故があって初めて、東京のエネルギー源がそこにあったと気づかされるように、普段はあって当たり前でそれがどこにあるのか、どうやってあるのかまではなかなか思い至らない。山中の資料館はそのことを改めて教えてくれているようだ。
前田氏は今も地元のフィールドワークを進めておいでになり、地域史への飽くなき探求心は一向に衰えるところがなく、かくしゃくとした語り口は年齢を感じさせなかった。不勉強な聞き手に、根気強く説明を重ねてくださった前田氏に重ねて感謝申し上げたい。

(税光詩子・記)

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朗らかな桜守

野口営農組合長、山瀬悦朗さん 野口営農組合長山瀬悦朗さん

南砺市野口にあるエドヒガンの一本桜、通称「向野の桜」が今年も見頃を迎えた。エドヒガン特有の開花前の濃いピンク色、根本から株分かれした幹が描く美しい樹形、真下を流れる小川と雪が残る山々との取り合わせに魅了され毎年多くの人々が訪れる。
向野の桜から田を挟んで二百メートルほど離れたところに野口営農組合がある。桜の時期は農作業の始まりの時でもあり、組合の作業場には何人かの働く人の姿が見える。今日はこの中のお一人、野口営農組合長、山瀬悦朗さん(五十三歳)にお話を伺う。
山瀬さんは十年近く、自らのブログで向野の桜の開花情報を提供し続けていらっしゃる。見頃を待ちわびる多くの人が山瀬さんの開花情報を頼りにしている。
写真をお撮りになる時間は決まっているんですか?
「たいてい朝ご飯前の六時ぐらいですね。この時期は桜を見に来て一日が始まる、という感じね」
推定樹齢百二十年以上と言われている向野の桜だが有名になったのは割に最近のこと。地元の方はこの樹の存在をご存じだったのだろうか。
「僕も若い頃はまったく知らなかった。昭和五十四年に桜の木の傍にスーパー農道が通って見物人やカメラマンが集まるようになってね。年々、見に来る人が想像以上に増えてきて、野口地区でもおいでになった皆さんがもっと桜を楽しめるようにと考えるようになってきて」
そのひとつが桜のライトアップ。意向を受けた地元の企業が十数年前に投光器と水銀灯を設置。幻想的な夜桜を楽しめると好評で、以来、企業のライトアップボランティアはずっと続いている。
田の水張りもそのひとつ。「逆さ富士」ならぬ「逆さ桜」が水面に美しい姿を見せる。田んぼに水を張るようになったのはいつ頃からですか?
「もう五、六年になるかな。自然発生的にやろうって声が出てきて。持ち主の方にも了解をもらって他の田んぼより早くトラクターで田起こしをして水を張る。最近では見に来る人もよく心得ていて逆さ桜が見られるポイントをよく知っておいでるね。昼間は風で水面が波立つので、風がない朝と夕方が逆さ桜のシャッターチャンス」
今後について何かお考えなんでしょうか。
「この桜が他と違うところは、周りにひとつも人工建造物がない一本桜だということ。スーパー農道から眺めると袴腰山系の山々と桜が自然なままに風景になる、それがこの桜のいいところなんであって、そこは大事にしたいので柵や看板を作ったりということは敢えて考えないですね」
山瀬さんは「地域の面白いこと」をやりたいと十二年前に会社勤めを辞め、地域に正面から向き合うことに。活動の柱のひとつに「農」を据え、六年前から野口営農組合長を務める。数年前から休耕田にコスモスや蕎麦を植えるようになり、花の時期はコスモス摘み放題。これもだんだんと人の知るところになりつつあり、野口は春にも秋にも花で楽しめる地域だ。
「戦前は、この桜の木だけでなく何本か並んでいたけど、他の木は薪用に切り倒されてしまい残ったのはこの一本だけ。どうしてこの一本が切られなかったかというと、切り倒しても川に幹が落ちてしまうので拾うのが面倒だから、ということらしい。それが今はこれほど人を集めているんだから面白いもんですね。崖っぷちに懸命に根を張っているこの桜は美しいだけでなく健気でもあり、見ていると励まされる気もするんですよ。ずっと見守っていきたいと思います」
逆さ桜を撮ろうと営農組合の道路前に車を停めカメラを持つ人に、どっから来たんですかと、山瀬さんが気さくに声をかける。笑顔と温かな言葉が道路を挟んで行き交う。桜日和に今日も山瀬さんの農作業は続く。

(税光詩子・記)

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