富山写真語 万華鏡
37号~48号
平成6年10月~平成7年9月
平成7年9月「合掌造り」
48号─平成7年9月発行

合掌造り

五箇山の合掌造りは平成七年に世界遺産に登録された。山あいに暮らす人々が生みはぐくみ、いまもなお生き続けている集落が人類全体の遺産として認識されたことは極めて珍しく意義深い。その茅葺き屋根は共同体の象徴であり、コミュニティの証でもあった。

文・上野幸夫・竺覚暁・佐伯安一・三井所清典
平成7年8月「ヘルン文庫」
47号─平成7年8月発行

ヘルン文庫

ラフカディオ・ハーンは知られざる日本の姿を世界に紹介した人物である。彼の蔵書「ヘルン文庫」は今、富山大学附属図書館に保存されている。その陰には旧制富山高等学校(現在の富山大学)創立の恩人である馬場はると、初代校長の南日恒太郎の物語がある。

文・平田純・浅生幸子・高瀬重雄・高瀬保
平成7年7月「風の盆」
46号─平成7年7月発行

風の盆

越中八尾は坂のまちであり、絹・薬草・和紙の生産で栄えた。産業発展にともない築かれた財力を背景に、おわら風の盆などの町衆文化が育まれた。時代とともに騒ぎ唄う形式から上達者の独唱に変わり、また胡弓も導入された。風の盆の季節には哀愁が町全体を包む。

文・成瀬昌示・高井進
平成7年6月「室堂平」
45号─平成7年6月発行

室堂平

室堂は地名として使われるが、そもそもはここに建つ小さな小屋の呼び名であった。北室・南室の二棟からなり、日本最古の山小屋である。登拝者の寝泊りために建てられたのであり、信仰者たちの籠り堂であった。堂内には太い柱が並び、黒光りしている姿は風格が漂う。

文・廣瀬誠・上野幸夫・西井龍儀
第48号
第47号
第46号
第45号
       
平成7年5月「終着駅」
44号─平成7年5月発行

終着駅

明治期、富山でも鉄道建設の計画がなされたがことごとく失敗。難工事である東西線は国に任せ、越中人は南北線の構築に心血を注ぎ山と海を結ぶ鉄道網が広がった。鉄道を簡易化したトロッコが立山に残っており、今なお砂防工事において重要な使命を果たしている。

文・高井進・廣瀬誠・草卓人
平成7年4月「虻が島」
43号─平成7年4月発行

虻が島

灘浦海岸の沖合に浮かぶ瓢箪型の島、虻が島。満潮になるとタブノキが茂る雄島と、クロマツが生える雌島に分かれて見える富山湾最大の島であり、暖温帯植生の宝庫としても知られる。訪れる観光客の悪影響も見られるが、地元の努力により環境の保全が図られている。

文・中葉博文・長井真隆・鈴木瑞治・小沢昭巳
平成7年3月「越彼岸桜」
42号─平成7年3月発行

越彼岸桜

コシノヒガンザクラは富山県にだけ自生する桜である。近年ようやく、エドヒガンとキンキマメザクラの自然交配によって生まれたものであることが判明した。ソメイヨシノとはいわば異母兄弟であるが、ソメイヨシノの豪華さとは対照的に、控えめで優雅な趣がある。

文・鳴橋直弘・松岸得之助・八尾正治・廣瀬誠
平成7年2月「越中和紙」
41号─平成7年2月発行

越中和紙

和紙漉きは寒さ厳しい冬の仕事。楮を雪にさらす伝統の方法は繊維を傷めず紙につやが出るので、特に指定して求める客もいるという。八尾・五箇山・蛭谷の和紙が全国に知られる。一枚一枚、心をこめて漉かれた和紙には、大量生産品にはない手仕事の誇りが見える。

文・山口昭次・吉田桂介・宮崎重美
第44号
第43号
第42号
第41号
      〔完売〕
平成7年1月「立山鳥獣」
40号─平成7年1月発行

立山鳥獣

立山開山伝説では白鷹が刀尾天神の化身として佐伯有頼を導き、立山権現の化身である熊が阿弥陀如来に姿を変え、立山を仏教の山として開くよう宣託を告げたという。雷鳥は立山の神の使いといわれ、雷鳥の絵は火災・雷よけのお守りとして珍重された。

文・松岸得之助・湯浅純孝・木本秀樹・米原寛
平成6年12月「婚礼蒲鉾」
39号─平成6年12月発行

婚礼蒲鉾

富山の婚礼につきものの蒲鉾は鯛や鶴亀、松竹梅などめでたいものづくし。華やかな細工蒲鉾は見事である。これらの蒲鉾は持ち帰りを前提としており、披露宴のご馳走をお裾分けするのは婚礼の承認の輪を広げることを意味する。社会的意味をもった風習なのである。

文・佐伯安一・米原寛・坂下顕・川崎賢一
平成6年11月「立山砂防」
38号─平成6年11月発行

立山砂防

常願寺川は、永年にわたる土砂の流下で天井川となっている。デ・レーケの改修工事により、水害の多くは除かれたが、上流から流出する土石はおさまらず、根本的な解決にはならなかった。下流域の人々の暮らしを守るため、砂防工事は現在も続けられている。

文・西井洋史・竹内章・菊川茂・佐伯金蔵
平成6年10月「石垣」
37号─平成6年10月発行

石垣

石垣は、民家を守るための石積みとして、地域によってさまざまな特徴をもって趣のある表情を見せている。洪水に備えるもの、強い風を防ぐものなど、石を積むには切実な理由があった。日本では石の文化は育たなかったが、石垣は唯一それを感じさせるものである。

文・京田良志・佐伯安一・前田英雄・竺覚暁
第40号
第39号
第38号
第37号
  〔完売〕    

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